聖誕節の今日。
今住んでいる場所はこんな名の通りに
囲まれていたのに気づく。
なんだ、これから先の道は心配ない。
今までもそうだったし、これからも。
Merry Christmas from Dalian.
I believe the road we go must be a right one.
Looking forward to coming days.
聖誕節の今日。
今住んでいる場所はこんな名の通りに
囲まれていたのに気づく。
なんだ、これから先の道は心配ない。
今までもそうだったし、これからも。
Merry Christmas from Dalian.
I believe the road we go must be a right one.
Looking forward to coming days.
長いようで、短い。
時間を持て余すのかと思ったら、そんなこともなく。
無事に隔離を終えて、自由になった。
とは言え、ここは中国。
インターネットのアクセスには以前同様の制限があるので
なかなか日本にいる時のように投稿ができないのがもどかしい。
ちょうど隔離を終えてから1週間経過するので改めて
隔離生活のことを振り返って記録しておきたい。
<隔離生活での決まり事>
・部屋には誰も入って来ることができない
・掃除や洗濯は自身で行う
・部屋から出ることはできない
・毎日午前7:00~9:00と午後15:00~17:0に報告
・ベランダに出ることは可能
・食事は3食弁当が部屋の前に置き配される
・朝食は7:30頃、昼食は11:30頃、夕食は16:30頃に来る
・隔離中に抗体検査とPCR検査を行う
・別途食べる物やビールなどは注文することが可能
食事は毎日似ているものの、味は悪くない。
ある日の朝食
ある日の昼食
ある日の夕食
食事や体温報告もあるので毎日規則正しく、
朝7:30頃には起きて夜12時には就寝していた。
午前は掃除や洗濯をして、午後はニュースを見たり
仕事をしたり、本を読んだりと。
大体決まった時間に同じことをするリズムができて
それ通りに動くのが楽だった。
せっかく特別な時間だし、不自由を楽しむことを決め
追加の注文はせず、あるもので過ごす。
最終日に部屋から出る時は、2週間ずっと部屋の中で
暮らしたのでそこでに生活に愛着があり、寂しさを感じた。
いつかまた、あの同じ部屋に旅行で泊まりに行きたい。
いよいよ、明日。
いつものように、成田に前泊。
大陸に飛ぶ準備は整った、はず。
昨日にはPCR検査とIgG抗体検査を受け、
無事に陰性証明を取得。
指定された病院での証明書がないと
飛行機に乗ることができない。
PCR検査は、小さな容器に書かれた線のところまで
唾液を出さなければならず、
座らせられたところの壁には梅干しやレモンの写真が
貼ってあるのを見て、きっと大変な人もいるんだろうなと。
この検査は保険や補助金などもなく、割と高額。
このままだと、頻繁に行き来をすることは難しい。
そして中国大連に着いたら14日間は隔離されることが
わかっている。
それも楽しもう。
色々と持っていきたいものが増えて、
荷物は多くなってしまった。
苦手なパッキングと格闘し、結果持っていくために用意
したものをいくつか諦めることに。
隔離生活用のものや、現地から依頼されて運ぶものもあり。
何よりも予想外の長い日本滞在で精神的には根を下ろしつつ
ありつつ、やはり今しかない。
ひとまず、明日の今頃どうなっていることか。
いってきます!
「身軽が好きなんで」
中国語授業の雑談中に生徒さんが話してくれた。
「国内旅行や、ちょっとした短期間の海外旅行なら、
巾着袋一つでいきます」
着替えはなし(洗って乾かす)。
スマホとマネークリップはポケットに入れて、
後は最低限の化粧品とタオル程度で良いらしい。
そんな旅もいいだろうな。
バックパックやスーツケースがあると、
なんだかんだ満たしてしまうのだから。
大きな本棚があれば、本をたくさん揃えるだろうし、
広い壁があれば絵を飾りたくなるかもしれない。
デジタル製品の容量だって大きければそれなりに
埋まっていき、クラウドだなんだってキリがない。
何かが足りない、と困った時に
それで初めて本当に必要な物は何かがわかる。
実際にやってみたら、それでもいけちゃうんだろう。
なくても大丈夫だ、に気づくことができる。
大抵、どうしても欠かせない物は既にある。
夕方。
いつものように走りに外へ。
前には、ペットボトルの水を何かに注いでいる人が。
植え込みに水をかけているようにも見えるが、
どうも、そうでもなく何か一点に向けて。
そして、じっと様子を観察している。
近づき、その場を追い越してようやくわかった。
ミミズに水をかけていたんだと。
これは想像。
ミミズが乾燥して水を求めているのを感じて
水をかけていたんだろう。
その直後。
「きっときれいな心の持ち主なんだろう」
そんな風に感じている自分に、
「あれ?」
なぜそう思ったのか。
人のある一つの行動を見て、それだけでその人が
どのような人なのかを自分の中で作っている。
自分の経験や価値観と照らし合わせて、
「自分だったら」
これを軸に行動に至った理由をその人の心に
求めてしまうんだなということが今更ながらわかった。
心の色は誰にも見えない。
いい人がいるのではなくて、その人の行動を見た人が
自分の価値観で「いい」と思うだけなんだ。
評価するのは、見た人。
それを気にしすぎるのは、
極端に言えば見えない誰かの価値観に近づこうとすること。
同じ見えないものならば、自分の方にまず寄り添ってみても
いいんじゃないかと感じながら走った日曜日の黄昏時。
何年経っても特別な日は同じように。
このブログでも何度か書いているこの日のこと。
思い出すのは高校ラグビー最後の試合のこと。
つまり部活の引退試合。
断片的ではあるものの、今でもはっきり思い出せる。
ボールの感触。
聞こえた声援。
そしてノーサイドの瞬間。
大学でもラグビーをやっていたけど
リーグ戦とトーナメントの違いもあるのかもしれない。
この日は記憶に深く刻まれている。
その経験は、ずっと支えになるもので、
最高の選択をした自分に対して
「よくやった」と思い伝える。
きっと、以前はできなかったことに目を向けて
やりきれなかったことや、「もっとこうすれば」
のような後悔の気持ちもあった。
今はただ、打ち込んだ時間と最後までやったこと
自分の中にある体験と記憶に感謝したい。
そんな、11月5日。
高円寺に行くと、商店街を歩く。
駅から北にも南にも。
生まれた街のこの雑多な感じが好きだ。
ある、指定された寝具店があり行ってみたところ
そこは大正11年から続き、もうすぐ100年。
現在のご主人は三代目だ。
その店の周囲はすっかり様変わりしている。
小さい頃よく行った玩具屋や銭湯は軒並みなくなり、
その分増えたのは整体やストレッチの店舗。
そこに住む人たちの年齢に合わせて、
ということのようだ。
祖父も高円寺の商店街に鞄屋を構えていた。
今までもし続けていたとしたら。
「商店街だって、生きているんだからな」
たしかに、そんなことを言いそうだ。
長く続く店と、入れ替わる店。
生きることは、変わること。