2020年8月12日水曜日

未知とメンタル


7月から走るようになって、すっかり習慣になった。

しばらくステイホームで運動不足なのもあり、
はじめはペースもわからず苦しかった。


そこで、ある疑問が生じてきた。



たとえば、
100メートルしか走ったことがないのに
ある日10キロを全力で走れ
と言われたらどうなるだろう。


ペース配分も距離の感覚もわからない中で
ベストを尽くすというのは簡単ではない。


100メートルの全力を基準にしながらどこまで
行けるのか試していくしかないからだ。


結果、途中で力尽きて止まってしまうかもしれない。


それを「メンタルが弱い」と言うだろうか。


スポーツの場面ならば、逆に賞賛されるかもしれない。


ただ、日常やビジネスにおいてはそうではないだろう。
できないことを精神力やストレス耐性の弱さで
語られてしまう場面は少なくないように感じる。


メンタルは目に見えないが、人の資質として
ある種の指標になっているが、本当に
それがふさわしい場面なのかどうかは見極めが必要。


知っているか、知らないか、に起因することもある。


そのギャップの存在に気づいているか。


中国語では、コミュニケーションの意味に
“沟通”の字を用いている。


日本語にすると、「溝を通す」だ。


つまり、ギャップが存在するところに
何かしらの手段で歩み寄り、意思を通じ合わせる
行為がコミュニケーションなのだ。


自分で勝手に相手も同じだという前提を勝手に
作り、思い込んでいないか。


違いを認めることが第一歩。























そして、走り続けることができる時間や距離を
これから伸ばしていけるか。


メンタルに頼らず、
新しい領域を少しずつ知っていきたい。



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