2018年12月7日金曜日
べきべき、から、あるある。
最近少し心持ちが変わって来たように思う。
★ わたしがあなたを生みました。
だから、死ぬところもきちんと見届けるわ、どうぞ。
このリンクは心屋仁之助さんのブログ。
いつからだろう、このブログを読むのは
毎朝の日課になってた。
何のきっかけで辿り着いたのかも思い出せないの
だけど多分必要な時にすっと入ってきたと思う。
以前、自分では何かとイライラすることが多かったり
何かあると自分がいかんと思うところがあった。
自分なりの「べき姿」があって、そこから外れる
とざわざわして、落ち着かない。
悲しさと悔しさが入り混じって怒りにつながる。
会社を辞めて、自分でやってみようと思う頃から
それが少しずつ変化して来たように感じる。
できるものはできるのだけど、
できないものはそれこそいっぱいあるし、
頑張っても結局うまくできない。
どこかで苦手なことや弱いことがいっぱいある
自分を受け入れるようになったり、
失敗してもそれはそれでいいんだとか、
全体的には楽観的にいた方が結果うまくいくとか、
全然完璧じゃないけど、でもやっぱり自分は
なかなかいいもの持ってるじゃないかと思ってみたり。
まだ、その途上ではあるのだけど。
失うことを恐れて、自分らしさが出せなくて
結局失う。
ああ、なるほど。そんなことも「ありあり」
なんだと。
自分を責めず。
結果それをいい、悪いと思うのがどちらでも
それを感じ切る、ということかな。
それでいいような気がしている。
それは、自分の選択の積み重ねなんだし。
考えてみれば、「べきべき」のレールからは
随分前に外れてたのに、脱線してもうレールには
乗っかれないのにも関わらず、レールから離れる
ことを怖がっていたような感じだ。
もう、戻らなくていいと認めようと今更ながら
気付いたりして。
本当に、必要な時に必要なものに出会う。
そして明日は寒くなりそうだ。
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