2020年11月28日土曜日
大連へのリベンジと隔離生活のはじまり。
2020年11月26日木曜日
中国への渡航リベンジ前夜
いよいよ、明日。
いつものように、成田に前泊。
大陸に飛ぶ準備は整った、はず。
昨日にはPCR検査とIgG抗体検査を受け、
無事に陰性証明を取得。
指定された病院での証明書がないと
飛行機に乗ることができない。
PCR検査は、小さな容器に書かれた線のところまで
唾液を出さなければならず、
座らせられたところの壁には梅干しやレモンの写真が
貼ってあるのを見て、きっと大変な人もいるんだろうなと。
この検査は保険や補助金などもなく、割と高額。
このままだと、頻繁に行き来をすることは難しい。
そして中国大連に着いたら14日間は隔離されることが
わかっている。
それも楽しもう。
色々と持っていきたいものが増えて、
荷物は多くなってしまった。
苦手なパッキングと格闘し、結果持っていくために用意
したものをいくつか諦めることに。
隔離生活用のものや、現地から依頼されて運ぶものもあり。
何よりも予想外の長い日本滞在で精神的には根を下ろしつつ
ありつつ、やはり今しかない。
ひとまず、明日の今頃どうなっていることか。
いってきます!
2020年11月12日木曜日
手ぶらのススメ
「身軽が好きなんで」
中国語授業の雑談中に生徒さんが話してくれた。
「国内旅行や、ちょっとした短期間の海外旅行なら、
巾着袋一つでいきます」
着替えはなし(洗って乾かす)。
スマホとマネークリップはポケットに入れて、
後は最低限の化粧品とタオル程度で良いらしい。
そんな旅もいいだろうな。
バックパックやスーツケースがあると、
なんだかんだ満たしてしまうのだから。
大きな本棚があれば、本をたくさん揃えるだろうし、
広い壁があれば絵を飾りたくなるかもしれない。
デジタル製品の容量だって大きければそれなりに
埋まっていき、クラウドだなんだってキリがない。
何かが足りない、と困った時に
それで初めて本当に必要な物は何かがわかる。
実際にやってみたら、それでもいけちゃうんだろう。
なくても大丈夫だ、に気づくことができる。
大抵、どうしても欠かせない物は既にある。
2020年11月10日火曜日
ダブルの衝撃と向き合い方
「15年で2倍」
これは、中国政府が発表した目標だ。
2035年までにGDPと一人当たりの収入を倍にできる
という自信の表れでもある。
この30年ほど、物価や給与がほぼ変わっていない日本
からすると信じられないほどのスピードだろう。
これは、日本が世界の中でも特殊な社会だと自覚すべき。
不動産などを含めた物価が上がる、その分最低賃金や
大卒初任給なども上昇する。
年々より多くのお金が回っていく。
人が多い、は経済規模拡大の根幹になる。
2020年は、世界で人の移動が制限される状態が続く。
そのような中でも国内消費に向けられるのは中国の強みだ。
そして、明日11月11日は双十一というお祭り。
1が並ぶ「独身の日」はいつからか大セールの日となった。
今やこの日の前には買うものリストを作成し、今か今かと
老若男女が待ちわびる。
海外旅行ができない分、ここに大きなうねりが生じるだろう。
オンラインショッピングは実店舗経営と対立せずに
共生している点にも注目し、見習うべきこともありそうだ。
新しいものは古いものを壊す訳ではない。
古いものを守り、存続させていくために使うことができる。
中国と付き合い、ビジネスをして行く上でお互いに
学び合う態度と尊重する姿勢が欠かせないと思う。
日本の肌感覚ではわからない、
人件費も家賃などの固定費も上がる。
それは対日本へのサービスや製品では価格に上乗せすることが
難しいだろう。
つまり、変化している市場でのビジネスは
その市場に受け入れられることが生命線となる。
とは言え、日本にとって大きいのは地の利だ。
中国から欧米特にアメリカへの留学が厳しくなっている中で
日本が受け皿となり双方の文化習慣を理解した人材を育成できる。
関係性を「進化」させて未来を見たい。
2020年11月8日日曜日
見えない心に色を塗る
夕方。
いつものように走りに外へ。
前には、ペットボトルの水を何かに注いでいる人が。
植え込みに水をかけているようにも見えるが、
どうも、そうでもなく何か一点に向けて。
そして、じっと様子を観察している。
近づき、その場を追い越してようやくわかった。
ミミズに水をかけていたんだと。
これは想像。
ミミズが乾燥して水を求めているのを感じて
水をかけていたんだろう。
その直後。
「きっときれいな心の持ち主なんだろう」
そんな風に感じている自分に、
「あれ?」
なぜそう思ったのか。
人のある一つの行動を見て、それだけでその人が
どのような人なのかを自分の中で作っている。
自分の経験や価値観と照らし合わせて、
「自分だったら」
これを軸に行動に至った理由をその人の心に
求めてしまうんだなということが今更ながらわかった。
心の色は誰にも見えない。
いい人がいるのではなくて、その人の行動を見た人が
自分の価値観で「いい」と思うだけなんだ。
評価するのは、見た人。
それを気にしすぎるのは、
極端に言えば見えない誰かの価値観に近づこうとすること。
同じ見えないものならば、自分の方にまず寄り添ってみても
いいんじゃないかと感じながら走った日曜日の黄昏時。
2020年11月5日木曜日
25年後のノーサイド
何年経っても特別な日は同じように。
このブログでも何度か書いているこの日のこと。
思い出すのは高校ラグビー最後の試合のこと。
つまり部活の引退試合。
断片的ではあるものの、今でもはっきり思い出せる。
ボールの感触。
聞こえた声援。
そしてノーサイドの瞬間。
大学でもラグビーをやっていたけど
リーグ戦とトーナメントの違いもあるのかもしれない。
この日は記憶に深く刻まれている。
その経験は、ずっと支えになるもので、
最高の選択をした自分に対して
「よくやった」と思い伝える。
きっと、以前はできなかったことに目を向けて
やりきれなかったことや、「もっとこうすれば」
のような後悔の気持ちもあった。
今はただ、打ち込んだ時間と最後までやったこと
自分の中にある体験と記憶に感謝したい。
そんな、11月5日。
2020年10月31日土曜日
湖畔で人生初のキャンプ
2020年10月29日、寝袋を購入して出発。
中央フリーウェイを走り、河口湖から富士山を見ながら
すっかりここは、秋の道。
樹の海を抜けて、たどり着いたのは田貫湖(たぬきこ)。
2020年10月27日火曜日
見える世界は自分で決める
2020年10月26日月曜日
人とともに生きる商店街
高円寺に行くと、商店街を歩く。
駅から北にも南にも。
生まれた街のこの雑多な感じが好きだ。
ある、指定された寝具店があり行ってみたところ
そこは大正11年から続き、もうすぐ100年。
現在のご主人は三代目だ。
その店の周囲はすっかり様変わりしている。
小さい頃よく行った玩具屋や銭湯は軒並みなくなり、
その分増えたのは整体やストレッチの店舗。
そこに住む人たちの年齢に合わせて、
ということのようだ。
祖父も高円寺の商店街に鞄屋を構えていた。
今までもし続けていたとしたら。
「商店街だって、生きているんだからな」
たしかに、そんなことを言いそうだ。
長く続く店と、入れ替わる店。
生きることは、変わること。