2020年8月25日火曜日

パンダ中国語学校との提携プログラム


中国語コーチを行っている中で
より広いレベルへの対応とニーズに応えるため
大連のパンダ中国語学校と提携しました。


オンライン中国語教室


中国語を学ぶ目的や、特に伸ばしたいスキルによって
オーダーメイドで適した学習プランをご提案します。


また、渡航が自由にできるようになれば
大連への短期留学なども組み合わせて実施が可能です。


・中国語と合わせて文化や習慣の違いも踏まえて
 コミュニケーションを取れるようになりたい


・少し空いた時間を使って中国にいる講師と
 会話や発音を重視したレッスンを受けたい


・今後中国に留学や仕事の機会を創りたいので
 現地の情報収集もしながら勉強したい


それぞれ希望に合わせて講師や教材の選定と
レッスンの内容のすり合わせを行います。


<お問い合わせ>
リレーワークス株式会社
https://www.relayworks.jp/contact

Twitter*DM
https://twitter.com/Hi_D_Tsuruoka


お気軽にご連絡ください。



2020年8月12日水曜日

未知とメンタル


7月から走るようになって、すっかり習慣になった。

しばらくステイホームで運動不足なのもあり、
はじめはペースもわからず苦しかった。


そこで、ある疑問が生じてきた。



たとえば、
100メートルしか走ったことがないのに
ある日10キロを全力で走れ
と言われたらどうなるだろう。


ペース配分も距離の感覚もわからない中で
ベストを尽くすというのは簡単ではない。


100メートルの全力を基準にしながらどこまで
行けるのか試していくしかないからだ。


結果、途中で力尽きて止まってしまうかもしれない。


それを「メンタルが弱い」と言うだろうか。


スポーツの場面ならば、逆に賞賛されるかもしれない。


ただ、日常やビジネスにおいてはそうではないだろう。
できないことを精神力やストレス耐性の弱さで
語られてしまう場面は少なくないように感じる。


メンタルは目に見えないが、人の資質として
ある種の指標になっているが、本当に
それがふさわしい場面なのかどうかは見極めが必要。


知っているか、知らないか、に起因することもある。


そのギャップの存在に気づいているか。


中国語では、コミュニケーションの意味に
“沟通”の字を用いている。


日本語にすると、「溝を通す」だ。


つまり、ギャップが存在するところに
何かしらの手段で歩み寄り、意思を通じ合わせる
行為がコミュニケーションなのだ。


自分で勝手に相手も同じだという前提を勝手に
作り、思い込んでいないか。


違いを認めることが第一歩。























そして、走り続けることができる時間や距離を
これから伸ばしていけるか。


メンタルに頼らず、
新しい領域を少しずつ知っていきたい。



2020年7月12日日曜日

中国語のコーチはじめました


中国語を使って、中国語圏の人たちと
意思疎通する。


言語はお互いが違うということを認めた上で
理解し合うためのツールなのだと思います。


異文化コミュニケーションの中で言葉は
重要ではあるけれど、全てではない。


直訳しても伝わらないニュアンスもあるし
文字だけではわからないことがたくさんある。


言ってみれば文字というのはコミュニケーション
の場面においては氷山の一角でしかない。


では、その下には何が隠れているのか。


習慣

文化

歴史


そして、それらを生み出した地理的特性や
気候も関係してくるかもしれない。


全てを知ることは難しくても、その存在を意識
すること、


同じように自分が発する言葉にも大きな背景が
隠れていることを自覚すること、


それだけで解釈に思いやりが生まれてくる。



これは、外国語というよくわかる違いのみならず
言葉を使う以上、認識として持っておきたい。



そして、今回中国語を教える上では
日本人だからこそ日本人に伝えられることもある。



ネイティブではないから、正確な発音や流暢で
こなれた言い回しはできない。


ただ、自分が学習する上でどのようなところに
苦労したのか実際に使う上で感じたことなども
実例として話すことができる。


自分自身、根元にあるのは
もっと中国語が上手くなりたいということよりも
中国で仕事をして生活する機会があって
もっと、文化やそこで生きる人を理解したいと
いう強い思いだ。


なのでテストのための語学ではなくて、
自分がそれを使って何かをしている場面を思い浮かべる
ことができるような人に伴奏しながらコーチする。


まさに今月から学びはじめた、生徒さんは
中華街で知っている中国語をどんどん使って交流を楽しむ人。


きっと、どんどんと遠くまで行けるようになる。


自分も、教えることを通して学べるんだ。



2020年5月26日火曜日

『売上を、減らそう。』の世界観


発想の転換。


経営者がどうあるべきか、のイメージが
どれだけ強いものか。


増収増益

右肩上がり

店舗拡大


などなど、いわゆるそれができると
「成功している経営者」と呼ばれる。


新聞や広告でもよく見かける会社が思い浮かぶ
からだと思う。


実際には、経営者はもっと身近な存在だ。


自分の祖父母は商店街で鞄屋の経営をしていた。

家と店舗が一体で、生活の中に経営があった。


そのような商店は生活に密着している。


外部要因によりリモートワークなるものが
一気に普及した現在とこれから。


都心の職場経済圏は郊外や地方の住居まわり経済圏
に移っていくだろう。


近くで買えないものは、ネットで買えば自宅まで
届けてくれる。


『売上を、減らそう。』






















国産牛ステーキ丼専門店の佰食屋の経営者
中村朱美さんの経営哲学が書かれた本だ。


いくつか印象に残った点がある。


<採用>

一般的に多くの企業が欲しがるだろう
自発的でハキハキ意見を言えるような人は採用しない。

それは諦めているからではなく、ふさわしい人を
採用するために組織の特性を理解しているから。

「自己分析」は、求職者(特に学生向け)に
よく使われる言葉だが、組織に対しても必要なものだ。


<業務>

やるべきことは、誰にでもできるようなことに
単純化されていて中でも向き不向きでアサインする。

そうすると、考えずとも当たり前のように確実に
業務が進んでいく。

シンプルな仕事は発展性がない、すぐ飽きる、
機械に取って替わられるというのが最近の風潮。

何も考えずにできるようになると、人はさらに
当たり前の精度を高めるし、
頭を使わなくてもいい分、他のことを考える
余地を生み出せる。

これはきっと、今のAIではできないことだ。


<決断>

言葉の通りに、「やらないこと」を決めていく。

削ぎ落とすプロセスには、常識と思われていること
が障害となる。

できるかどうかわからない拡大を目指すよりも
自分たちに見合ったアウトプットを出し続ける
という選択。

削り落としたことで、得られる時間。

「安定的に低空飛行して、絶対に黒字を出す仕組み」

という言葉に集約されている。



特に上の3つのポイントが印象深い。


自身の起業体験と重なる部分も多い。

2016年に中国で起業。


思ったように伸びない売上、
そして社員に報いることもできず。


売上目標をクリアしていくスタイルから
今の体制で、外部要因の波があっても
継続できるように変化させていった。


2020年世界を襲った大きな衝撃に
耐えうるかどうかは正直なところ不明だ。


ただ、きっと自分にとっては変化の機会に
なると思っている。


持続的に、生活と共にある経営。


仕事に出かける

から

仕事と共に暮らす

へのシフトチェンジは
世界で既に起こっている。



2020年5月24日日曜日

いつからでもはじめよう


日本にいる期間が長くなり、
基本的に家にいることが多い日々。


オンラインでの飲み会もおもしろいし、
そんなに出かけなくても、だんだんと
その過ごし方を自分なりに磨いていくものだ。


その一つとして、
映画をたくさん観る、
もいい。


インド映画が好きで、探していたら見つけた。
舞台はニューヨークなのだけど。


『マダム・イン・ニューヨーク』


ニュージーランドで英語学校に行っていた時
のことを思い出し、楽しい気分になった。

















はじめて行った海外。


行く時はシンガポール航空のCAさんが
何を言っているのかもわからず。


ノープランで現地に着いてから結局
英語学校に通うことにした。


アジアやヨーロッパから来ている人たち
と唯一コミュニケーションができる手段として
英語を学び、使うおもしろさを知った。


















外国語は使うためにあるんだってことに
気づいてからは上達がとても速かった。


そして何より毎日が楽しかった。

















ホームステイという体験も、もちろん初。

部屋が広くて、
あと、電圧のせいかお湯が電気であっという間に
沸くのをみて驚いた。


夜には南十字星を探してみたり。


ラグビーを観たり、チームに入ってプレーしたり。


そうそう、ニュージーランドを選んだのは
ラグビーを感じたいからだった。




そんなことを、映画を観ながら思い出した。


そして、今になって
これから全く新しいことを学ぶのもいいんだなって。


きっと楽しめる。



2020年5月12日火曜日

「はたらく」から、「はたがく」へ。


「はたらく」という言葉の起源は
「はた」を「らく」にすること。


つまり、自分の周りの人たちのため。


人はもともと、自分が生きていくために
食糧を得ていた。

それが家族や部落といった単位で分業に移行し、
誰かのため汗水を垂らすようになる。

チームプレーの狩猟や農耕のはじまり。


このイメージは人間に深く刷り込まれているようだ。


だからか、仕事は苦しくないといけないという
何かしらの圧力が少なからず存在するように思う。


『アリとキリギリス』や『ウサギとカメ』
の話もそうだ。


それぞれ、コツコツ地道に努力することが勝ち残る
要素として教えられる。


これを教育の中で行うことで、勤勉さは育まれてきたし、
実際日本においては経済成長の原動力となった。


その要素が強く求められていたからだ。


ただ、現代はどうだろう。


仕事をする上での土俵環境が短い期間で変化する。


一つのことに地道に打ち込んでいても、
身に付けたスキルの応用だけでは立ち行かなくなる。


ここでまた、
『アリとキリギリス』と『ウサギとカメ』の話に戻る。


これらの話の解釈は現実においては、

音楽の才能を発揮したキリギリスが多くの人を喜ばせ

天性のバネを活かしたウサギはスポーツ競技で活躍する。


つまり、自分の強みで勝負すれば良いということ。
そして、必ずしも苦しそうに見える必要はない。


干支でネズミが最初になったのはレースに勝ったから。
その勝ち方は、猫を騙し、牛の背に乗って力をためた。


ネズミは自分理解と敵の分析をもとに
どうやったら勝てるか戦略を練り、結果を出した。


それを結果として、今も認められている。
(その代償として猫に追われ続けているが)


自分を犠牲にして、報酬を得るのではなく
それぞれが強みを発揮して自分や誰かを喜ばせる


そのことが糧となる。


じらく:自分を楽(らく)にする
はたらく:まわりの人たちを楽(らく)にする


じがく:自分を楽しませる
はたがく:まわりの人たちを楽しませる

ここでの「がく」は音楽のがくと同じ。


もう一つ。


「楽しもう」という言葉には、
前に(苦しいんだけど)が隠れている。


ラグビーの練習を思い出すと、
一番辛いメニューの時はみんなで
「楽しもう」、「顔上げよう」って声かけて。

もちろんその間はちっとも楽しくない。


ただ、終わった後のやりきった、
乗り越えた充実感には、「楽しかった」が潜んでいる。


「はたらくを楽しもう」という言葉をブランドスローガン
にする会社を選んだのは、凝縮された時間を過ごしたい
という思いがあったからだと思う。


そこから一歩進んで、「はたがく」のススメ。



2020年4月11日土曜日

はなれる旅、つながる旅。


本棚にある『深夜特急』が気になる。


そう言えば、ドラマ化されているのを思い出して
アジア編を視聴。


旅のスタイルの違いに気づく。


初めて海外に出たのはいつだったか……2000年のことだ。


携帯電話はもちろん海外では使えない。
その時初めてフリーメールのアドレスを取得したけれど
ノートパソコンを持っていなかったし、
たまにインターネットカフェに行ってメールを送受信するだけ。


カメラもフィルムだから、撮影したら写真屋さんでプリントして
初めて写り具合がわかる。


その便利じゃない部分での良さ、もある。


旅に出ることは、日常をシャットアウトすることでもあった。
要するに、家族からも友人からもすぐに連絡がつけられない。



絵葉書・手紙・メールも、いつ読まれるのかやいつ返事が来るのか
わからないからこそ、返事が来た時のうれしさが大きかった。


知らぬ間に、スマホなるものができた。
宿泊先にはWi-Fiがあり、SIMカードを買えば
外を歩いている時にもメールが届き読むことができる。


撮影した写真はすぐに共有することができ、ビデオ電話で顔を見ながら
話すこともできるようになった。


今はどこに行こうとも、日常から完全に切り離されることはなく
(意図的にシャットアウトすることは、もちろんできる)
日常を持ち歩きながら旅ができるようになった。


いつからか、というよりも
いつの間にか、という方がしっくりくる。


人は少しずつの変化には気づかない。

例えば、昨日と今日の

体重の変化や、
髪の長さや、
草や木の大きさなど

この変化の中にいつでもあるということだ。

そのスピードが速くなるのが、予期せぬことが起きた時。


現在、世界で蔓延している新型肺炎のこともそうだ。


通常なら3ヶ月前を振り返ってみても、季節の変化を除けば
大きな違いに気づきにくいかもしれない。


今から振り返ると3ヶ月前には全く考えていなかったことが
起きているし、それだけ変わったこともあるように見える。



それは何かを手離して、その手で何か新しいものを掴む
過程にある、ということではないかと思う。



旅をするなら、

敢えて昔スタイルでデジタルな物を持たずにということも
選ぶことができる。


今だからこそ、をフルに活用して楽しむ旅もいい。


そんなことを、『深夜特急』から考えた一日。



2020年4月10日金曜日

8年経って、東京で迎える春。


東京に戻ったのは、旧正月の直前。
一年の中で最も寒い時期だった。



中国の大型連休に合わせての10日間ほどの一時帰国
を予定していた。


実際に1月28日に成田から大連への飛行機に乗っていた。
いつものように映画を一本ちょうど見られる時間。


そろそろかな……大連の上空まで飛んだものの、
当日大連は雪。
降り止んだ後も視界不良のため着陸許可が下りない。


旋回しながら天候回復を待つ。



1時間半ほど、待ってみる。



映画は2本目が見終わろうとしている頃、
機長からのアナウンス。


「成田に引き返します」


乗客はとても少なかった。
特に不満の声も上がらず、静かに帰る。



乗るはずの便がキャンセルになったことはあるが、
既に乗って、到着地上空まで行って戻ってくるような
経験は初めてだ。



成田に到着すると、翌日の便に振り替えになる
という案内が。


それでもよかったが、状況からして急いで戻る必要
もなく、先延ばしにして様子を見ることに。



その後はフライトの減便……



戻っても14日自宅隔離……



戻ったら14日強制指定ホテル隔離……



ついにビザの停止(入国不可)に。



ということで10日間の滞在予定が、もうすぐ3ヶ月。



予定していなかったが、前回書いたように
日本に会社設立の準備もしながら。


流行りのリモートワークで中国の仕事を日本で
動かしながら。(例年に比べると相当少ない)



2012年に香港に行ってから8年。
久しぶりに東京で春を迎えることに。























先のことは、わからない。
どちらかというと悲観的な意見が多いし、
楽観的に考えてもコントロールできないことは
どうしようもない。



ただ、確かなのは

普通にできていたことの価値が高まって、
今後の楽しみが増えたということ。



何があっても、原点に帰ればいいのだから
動けるようになったら



行きたいところに行く。


会いたい人に会う。



2020年4月7日火曜日

計画的会社設立宣言


2020年4月7日。


まさか緊急事態宣言の日にあたるとは……。

今後の記憶にも記録にも残ります。


今日を会社設立日とすることは、
1月に日本へ戻ってきてから計画的に進めてきたことです。


自分でこの、4月7日を選びました。


理由は、


①ちょうど手続きが終わりそうな頃の大安の日

②大連で作った会社が7月4日に営業許可が下りた

③調べたらWHOの設立日やアトムの誕生日だった


などの理由から、かなり前もってこの日を選びました。



会社名:リレーワークス株式会社|RelayWorks Limited



中国で起業する際にも会社の名前はRelayから
中国語の音で近い立萊という字を選びました。


人が仕事を通して、自分らしく生きていくこと。
それをつたえる、つなげるその役割を果たしたい。


自分一人でのスタートになりますが、
中国の会社やパートナーたちと連携をしながら、
できることを広げていきたいと考えています。


以前から思っている、
人がより自由に生活の場所を選び
仕事ができるようになること。


日本が多様性を受け入れて開かれた社会になっていくこと、
に向けて進んでいきます。


会社設立を決めた時には

まさか今この日を迎えるにあたり

これだけ移動が制限されているようになるとは

思いませんでした。


当面、短期的にはできないこともありそうです。


それでも、
このタイミングで変わっていくものや
風向きを見極めながら
できることをやっていくつもりです。


銀行口座開設やWEBサイトの作成など、
これから手をつけるものも多くあります。


会社を作るのに必要なことは、
中国での起業経験から大体イメージがありますが
やはりそれぞれ日本だとスムーズなことと
逆に手続きが煩雑なことがあるように感じます。



まずは簡単ながらご報告まで。


またこのブログやSNSを通じて発信させていただきます。

ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。



2020年4月6日月曜日

空白を埋めるインレー湖


また、だいぶ空けてしまった。


前回書いたのが、ミャンマーのヤンゴンから。
旅しながら書くつもりだったのに、ネットがなかなか
つながらなかったというのが言い訳。


入国で終わってるので、時間は経ってしまっているけど
その後の旅の話を思い出しながら書きます。
(このままだとずっとミャンマーにいる感じになる)


ヤンゴンからバガンまでは飛行機で、
バガンからインレー湖まではバスで移動。

インレー湖がとても良かった。
自転車を借りて湖畔の道路を走り、どこへ向かうのか
わからない小さな道を見つけて突然そこに入ってみる。

自転車を積んでボートに乗って、対岸まで渡ってみたり。
























湖の上に家があり、そこでの生活を覗くことができる。

天気が良くて、人が集まって外で食事をしていたので
屋台のような感覚で入っていったら、ただ近所の人で
集まって食事中。


同じものを食べさせてもらいました。
言葉は挨拶程度しかわからないけど、お互いに耳を
傾ければ伝わることは多い。そしてそれが旅の醍醐味。
























首長族の人たちは、織物を売って暮らしています。
湖の上をボートで回ると、家もある、レストランもある、
お寺もある、と朝から夕方まで過ごせます。




















そして、こんなバランス感覚を持ちたい。


人が暮らすっていうことの原点が見えるようでもあり、
優しい笑顔がたくさんありました。


インレー湖からヤンゴンまでは、飛行機で戻り
また北京経由で大連まで戻ったという旅でした。


ミャンマーを出国した後、大連に戻ってからの2019年は
日本に一時帰国が多くあっという間に過ぎました。


またタイムリーにその日に感じたことなどを
書いていくにあたり、まず途中になっているところを
補足しておきたくて、近況ついてはこれからにします。


また、書きたくなってきました。
何度も、はじめる。