2009年12月12日土曜日

革命が好きらしい


どうやら自分は革命が好きらしい。


久しぶりのコメントで、何を書こうか、
でも開いた以上何か書きたいと思って
最後の書き込みから今日まで振り返ってみたときに
昨年は『水滸伝』にはまっていて、
2009年になってチェ・ゲバラの映画を観て
ついに今年の夏にはキューバに行ってきた。


どうして革命に魅かれるんだろう。

当たり前のことが当たり前ではなくなり、
それでも普遍的な正しさを求め、
答えがなくなる瞬間、その不可思議さかもしれない。


キューバにはマクドナルドもないし、
スターバックスもスーパーマーケットもない。

それでも、だからこそ、
音楽が溢れているように感じられた。



2008年5月5日月曜日

レーシック<その後>


見る目が変わったのは今年の2月だから、
もうすぐ3ヵ月になる。


すっかり今の状態に慣れてしまって、
今ではコンタクトや眼鏡を使っていたことさえ不思議な感覚だ。


仕事ではPCをよく使うし、仕事以外ではよく本を読んでいるので
視力がいいと少し疲れる。

それでも朝の煩わしさもなく、昼寝したって乾燥しないし、
夜は今までよりも多くの星が見える。


5年後・10年後どうなるかはわからないけど、
今をよりよく生きていくことを考えるならば
後悔することは何もない。


だから、周りの人にも薦めるし
実際に受けている人も増えている。


見る目が変われば、世界が変わる。


世界を変えるための一歩を踏み出すかどうかは自分次第。



2008年3月16日日曜日

天下をとった野武士たち


三洋電機ワイルドナイツ。


この野武士の集団には鉄の志があった。
『日本一になる』という強い意志が感じられた。

対するは常勝清宮サントリーサンゴリアス。
人気も資金力も日本代表の選手の数から見ても
今日本で一番強いと言われるチームだろう。

三洋電機は外国人選手の活躍が目立つが、キーマンの外国人選手にも
同じ軸があり、本当に全員が同じ場面で同じことを考え、
まさに全員で同じ一本の棒を持ちながら動いているかのようだった。


強い集団には志がある。
三洋電機ワイルドナイツはまさに、武士だった。

武士道とも言えるべき、精神がそこにあった。

そして本当に強かった。


日本が世界に向けて戦う時、
高校からラグビーを始める部員がほとんどの都立高校が
推薦入学で生徒を集める私立高校と戦う時、
必要なのは想像を絶する猛練習よりも、考え抜かれた理論よりも
チームとして鉄の志を持つことが、勝つためには必要だろう。


だから武士道。

これで戦っていくんだ。



山中祥男先生最終講義


『ラット-人間-カウンセリング』と題して
3月15日(土)快晴の中、上智大学10号館講堂にて行われた。


山中祥男先生は上智大学心理学科にて、
生理心理学を研究・講義され、今年度で定年退職される。


研究室では先生がいるとお酒を持って囲み、研究よりも
先生と他愛もないことを語ったりすることが多かった。


その中でも特に先生が話されたことで思い出深いことと言えば、
先生が大学生の頃の話。



特に学生運動のこととなると、感慨深いようで多くは語らず
さまざまな思いがこみ上げてくる様子で伝えてくれた。



話さずとも伝わることがある。


最終講義の中でも、沈黙の中で多くのことを伝えてくれた。



先生は物書きになりたかった。それで文学部。


早稲田大学の学生時代には心理学の授業よりも
考古学の先生に惹かれ、熱烈な勧誘も受けたという。


心理学は不思議なもので、いくら学んでもいっこうに
人の心はわからない。

わかった気になってしまうことが危険で、
心理学を学ぶことで人は人に対して、
より謙虚になっていかなければいけない。


だから先生は上智大学で授業を持つようになってから、
ひたすら謙虚に、仕事を選ばずにここまでやってこられた。


学生と向き合い、
学生を愛していたからこそ、
学生からも愛された。

どんな研究内容であっても、最後まで面倒をみてくれた。



人は欲深く、嘘をつき、人を裏切る。
それでも本当に人を深く愛している。



山中先生、
先生の研究室で過ごした3年間はかけがえのない時間でした。

謙虚に、誰とでも、どんな仕事でも全力で向き合う先生のように
これから頑張っていきたいと思います。

本当にありがとうございました。


<山中祥男先生略歴>

1942年 生まれ
1970年 早稲田大学文学研究科心理学専攻博士課程修了
職 歴 東京理科大学、筑波大学、早稲田大学等の講師を歴任、
    1986年より上智大学文学部心理学科教授
    その後、上智大学カウンセリング研究所所長を兼任
専 攻 生理心理学、精神生理学

(主著・訳書)
『行動科学としての心理学』(共著、芸林書房)
『バイオフィードバック』(共著、誠信書房)
『教育心理学序説』(共著、福村出版)
『痛み-基礎と臨床-』(共著、朝倉書店)
『心理学-theory & exercise-』(共著、福村出版)
『人間理解の心理学』(共著、北樹出版)
『Pain』(朝倉書店、共著)
『痛みの世界』(共著、至文堂)
『精神生理学入門』(共訳、東京大学出版会)


『心理学でなにがわかるか、なにができるか』



2008年2月23日土曜日

『キャリア』について


『キャリア』ってなんだろう?


転職支援という仕事をしておきながら、
この言葉についてはなかなかわからない。


一般的には、『キャリア』には一貫性があることが大切だと言われている。


はたしてそうだろうか?


『キャリア』に一貫性が必要なのは、
日本において採用面接官がそれを求めているからではないだろうか。


採用面接官の常識が、日本の『キャリア』を定義しているように思う。

要するに、日本の『キャリア』は日本のものでしかないのだろう。


日本人は大学を卒業したら、そこから『キャリア』が始まるのが
当たり前だと思っている。


はたしてそうだろうか?


数多くある選択肢の中から、主体的に選んだものが
結果として『キャリア』になるのではないだろうか。

自分の選択に責任を持つ、自分が選んだことだからこそ
精一杯そこで力が出せるのではないだろうか。


きっと、楽しいことばかりではない。それがプロフェッショナルだから。


それでも、自分が選んだことだからこそ、主体的に関わることができる。
それは、決して誰かにやらされていることではないのだから。

誰かのせいにしたい時だってある。どうにもならない時だってある。
もっと違うことがやりたい時だってある。


だったら、また選べばいい。


それが、『キャリア』になる。



2008年2月18日月曜日

『パラレルワールド・ラブストーリー』


土日が会社の研修(リーダー層向け研修)だったため、
今日は振替休日を取得した。


リーダー研修については、またどこかの機会に書きたいと思う。


無意識無能 (リスクがあることも知らず、対抗措置をとる能力なし)
 ↓  ↓
有意識無能 (リスクがあることに気づくが、対抗措置をとる能力なし)
 ↓  ↓
有意識有能 (リスクがあることに気づき、対抗措置をとることができる)
 ↓  ↓
無意識有能 (リスクがあると認識しなくても、対抗措置をとれる)


無意識無能から有意識無能への第一歩ととらえれば
その目的は達せられたのではないかと思う。
(研修の受け方として、それでいいのかどうかは別として)


というわけで本日は世間がビジネスで動いている中、
仕事のことは意識せず、免許の更新と読書をして過ごした。


免許の更新については、普通免許ではなく、中型免許になっていた。
そして、今回は裸眼での取得OK。眼鏡等の条件は外せた。


運転に関しても、先に触れた無意識有能にならないといけないが
それにしてもリスクが大きいように感じてしまう。

いくら自分が万全を期して、無意識有能だとしても、
どうしても避けられないこともある。これは何でも同じか。


そして、今日読んだ本が、
タイトルの『パラレルワールド・ラブストーリー』。

作者は東野圭吾。初めてこの作家の小説を読んだ。
ある後輩が最近読んでいると言っていたので一気に読んでみた。


自分が大学院時代、脳の研究を行う研究室に所属していたこともあり
なんとなく懐かしく読んでいた。(心理学専攻だったため)


人の人格を何をもって定義するのか、
ということに関しては、考えようによっては
『記憶が人を、その人であるようにする』
と言えるだろう。


今の自分が持っている記憶が変われば、
今の自分も未来の自分も変わる。

事実は変わらないとしても、記憶が必ずしも事実とは限らないし、
記憶に対しての受け止め方にもよって、
徐々に変化するものでもあるようだ。

そもそも人は全てのことを記憶していたら、生きていくことが
苦しくて仕方なくなってしまうようで、
それを緩和するために夢を見たり記憶がなくなったりする、
と学生の頃学んだ気がする。
(この時点で自分の記憶が曖昧になっている)


人は学習する中で、記憶が未来を志向する際にも大きく影響を及ぼす。
記憶にとらわれずに未来を志向すると、何かが変わるだろうか。



2008年2月14日木曜日

レーシック<手術編>


二日経った。


感覚としては、コンタクトレンズをずっとつけているよう。

見えるので、夜寝る前に、「外さなきゃ。」と思い、
「外さなくていいんだ。(外すものがないんだ)」と気づく。


手術当日は、朝から変に緊張していて、本当にやるのか、
とか
明日の今頃、どうなってるだろう、とか考えていた。


そもそも手術というものは今まで受けたことがない。


子どもの頃、交通事故があったり、
高校生の頃、半月板を損傷したり、膝の靭帯が伸びたり、
大学生の頃、手の骨折をしたりしたが、
傷口を縫うとかギプスをはめる程度の処置しか
受けたことがないので、手術って言葉が怖い。


当日はまず、前日の検査の短縮版みたいなのを受ける。
視力検査ももう一度やる。
それから、診察を受けると目薬の説明を受けて、
手術後使用するサングラスを渡される。
そうすると、手術フロアに移動。

手術に関しては、まず麻酔の目薬を点した後、手術室に入る。

仰向けになると、顔の前に機械が来る。
片目ずつ上から筒で押さえつけられるような感じで、
これが痛い。(個人差があるらしい)

痛いけど、「順調です。」とか「あと20秒です。」とか
声が聞こえるので、耐える。(片目30秒ずつ位)

これが終わると、ぼーっとした目(視界が白っぽくぼやける)で
別の部屋の前で待機。

前の人が終わると同時に部屋に入り、 今度もまた仰向けに寝る。
すると、今度は目の上の機械が赤やら緑やらで光っている。
瞼が閉じないようにばっちり固定され、中心の緑の光を見てるだけ。
これは痛くない。 これも片目30秒~1分位で終わる。


これで終わり。


休憩室で15分位リラックスして、診察を受けて終了。

帰る途中でだんだん痛みを感じるようになり、
ずっと目の上の何かで押されているような 感覚がその日は続く。

でも見える。既にコンタクトつけてる時より見える。

次の日の朝には痛みはない。

ただ、コンタクトをつけているような違和感が少し残る。

翌日の検診で視力検査をすると、
検査前に裸眼で両方0.03だったのが両方1.5に。
もっと早くやっとけばよかったな~というのが今の素直な心境。


ただ、自分の身近でやった人がいなかったらできなかったな~と思う。
友達とか会社の先輩や上司から話を聞けなかったらきっとやってない。

でもきっと、この手術受ける人はこれからどんどん増えて、
コンタクト使う人の方が 少なくなるんじゃないかとも思う。


裸眼で月とか星とか、ちゃんと見えるのがうれしい。
自分の目でオーロラを見るという目標に一歩近づけた。