2020年5月12日火曜日

「はたらく」から、「はたがく」へ。


「はたらく」という言葉の起源は
「はた」を「らく」にすること。


つまり、自分の周りの人たちのため。


人はもともと、自分が生きていくために
食糧を得ていた。

それが家族や部落といった単位で分業に移行し、
誰かのため汗水を垂らすようになる。

チームプレーの狩猟や農耕のはじまり。


このイメージは人間に深く刷り込まれているようだ。


だからか、仕事は苦しくないといけないという
何かしらの圧力が少なからず存在するように思う。


『アリとキリギリス』や『ウサギとカメ』
の話もそうだ。


それぞれ、コツコツ地道に努力することが勝ち残る
要素として教えられる。


これを教育の中で行うことで、勤勉さは育まれてきたし、
実際日本においては経済成長の原動力となった。


その要素が強く求められていたからだ。


ただ、現代はどうだろう。


仕事をする上での土俵環境が短い期間で変化する。


一つのことに地道に打ち込んでいても、
身に付けたスキルの応用だけでは立ち行かなくなる。


ここでまた、
『アリとキリギリス』と『ウサギとカメ』の話に戻る。


これらの話の解釈は現実においては、

音楽の才能を発揮したキリギリスが多くの人を喜ばせ

天性のバネを活かしたウサギはスポーツ競技で活躍する。


つまり、自分の強みで勝負すれば良いということ。
そして、必ずしも苦しそうに見える必要はない。


干支でネズミが最初になったのはレースに勝ったから。
その勝ち方は、猫を騙し、牛の背に乗って力をためた。


ネズミは自分理解と敵の分析をもとに
どうやったら勝てるか戦略を練り、結果を出した。


それを結果として、今も認められている。
(その代償として猫に追われ続けているが)


自分を犠牲にして、報酬を得るのではなく
それぞれが強みを発揮して自分や誰かを喜ばせる


そのことが糧となる。


じらく:自分を楽(らく)にする
はたらく:まわりの人たちを楽(らく)にする


じがく:自分を楽しませる
はたがく:まわりの人たちを楽しませる

ここでの「がく」は音楽のがくと同じ。


もう一つ。


「楽しもう」という言葉には、
前に(苦しいんだけど)が隠れている。


ラグビーの練習を思い出すと、
一番辛いメニューの時はみんなで
「楽しもう」、「顔上げよう」って声かけて。

もちろんその間はちっとも楽しくない。


ただ、終わった後のやりきった、
乗り越えた充実感には、「楽しかった」が潜んでいる。


「はたらくを楽しもう」という言葉をブランドスローガン
にする会社を選んだのは、凝縮された時間を過ごしたい
という思いがあったからだと思う。


そこから一歩進んで、「はたがく」のススメ。



2020年4月11日土曜日

はなれる旅、つながる旅。


本棚にある『深夜特急』が気になる。


そう言えば、ドラマ化されているのを思い出して
アジア編を視聴。


旅のスタイルの違いに気づく。


初めて海外に出たのはいつだったか……2000年のことだ。


携帯電話はもちろん海外では使えない。
その時初めてフリーメールのアドレスを取得したけれど
ノートパソコンを持っていなかったし、
たまにインターネットカフェに行ってメールを送受信するだけ。


カメラもフィルムだから、撮影したら写真屋さんでプリントして
初めて写り具合がわかる。


その便利じゃない部分での良さ、もある。


旅に出ることは、日常をシャットアウトすることでもあった。
要するに、家族からも友人からもすぐに連絡がつけられない。



絵葉書・手紙・メールも、いつ読まれるのかやいつ返事が来るのか
わからないからこそ、返事が来た時のうれしさが大きかった。


知らぬ間に、スマホなるものができた。
宿泊先にはWi-Fiがあり、SIMカードを買えば
外を歩いている時にもメールが届き読むことができる。


撮影した写真はすぐに共有することができ、ビデオ電話で顔を見ながら
話すこともできるようになった。


今はどこに行こうとも、日常から完全に切り離されることはなく
(意図的にシャットアウトすることは、もちろんできる)
日常を持ち歩きながら旅ができるようになった。


いつからか、というよりも
いつの間にか、という方がしっくりくる。


人は少しずつの変化には気づかない。

例えば、昨日と今日の

体重の変化や、
髪の長さや、
草や木の大きさなど

この変化の中にいつでもあるということだ。

そのスピードが速くなるのが、予期せぬことが起きた時。


現在、世界で蔓延している新型肺炎のこともそうだ。


通常なら3ヶ月前を振り返ってみても、季節の変化を除けば
大きな違いに気づきにくいかもしれない。


今から振り返ると3ヶ月前には全く考えていなかったことが
起きているし、それだけ変わったこともあるように見える。



それは何かを手離して、その手で何か新しいものを掴む
過程にある、ということではないかと思う。



旅をするなら、

敢えて昔スタイルでデジタルな物を持たずにということも
選ぶことができる。


今だからこそ、をフルに活用して楽しむ旅もいい。


そんなことを、『深夜特急』から考えた一日。



2020年4月10日金曜日

8年経って、東京で迎える春。


東京に戻ったのは、旧正月の直前。
一年の中で最も寒い時期だった。



中国の大型連休に合わせての10日間ほどの一時帰国
を予定していた。


実際に1月28日に成田から大連への飛行機に乗っていた。
いつものように映画を一本ちょうど見られる時間。


そろそろかな……大連の上空まで飛んだものの、
当日大連は雪。
降り止んだ後も視界不良のため着陸許可が下りない。


旋回しながら天候回復を待つ。



1時間半ほど、待ってみる。



映画は2本目が見終わろうとしている頃、
機長からのアナウンス。


「成田に引き返します」


乗客はとても少なかった。
特に不満の声も上がらず、静かに帰る。



乗るはずの便がキャンセルになったことはあるが、
既に乗って、到着地上空まで行って戻ってくるような
経験は初めてだ。



成田に到着すると、翌日の便に振り替えになる
という案内が。


それでもよかったが、状況からして急いで戻る必要
もなく、先延ばしにして様子を見ることに。



その後はフライトの減便……



戻っても14日自宅隔離……



戻ったら14日強制指定ホテル隔離……



ついにビザの停止(入国不可)に。



ということで10日間の滞在予定が、もうすぐ3ヶ月。



予定していなかったが、前回書いたように
日本に会社設立の準備もしながら。


流行りのリモートワークで中国の仕事を日本で
動かしながら。(例年に比べると相当少ない)



2012年に香港に行ってから8年。
久しぶりに東京で春を迎えることに。























先のことは、わからない。
どちらかというと悲観的な意見が多いし、
楽観的に考えてもコントロールできないことは
どうしようもない。



ただ、確かなのは

普通にできていたことの価値が高まって、
今後の楽しみが増えたということ。



何があっても、原点に帰ればいいのだから
動けるようになったら



行きたいところに行く。


会いたい人に会う。



2020年4月7日火曜日

計画的会社設立宣言


2020年4月7日。


まさか緊急事態宣言の日にあたるとは……。

今後の記憶にも記録にも残ります。


今日を会社設立日とすることは、
1月に日本へ戻ってきてから計画的に進めてきたことです。


自分でこの、4月7日を選びました。


理由は、


①ちょうど手続きが終わりそうな頃の大安の日

②大連で作った会社が7月4日に営業許可が下りた

③調べたらWHOの設立日やアトムの誕生日だった


などの理由から、かなり前もってこの日を選びました。



会社名:リレーワークス株式会社|RelayWorks Limited



中国で起業する際にも会社の名前はRelayから
中国語の音で近い立萊という字を選びました。


人が仕事を通して、自分らしく生きていくこと。
それをつたえる、つなげるその役割を果たしたい。


自分一人でのスタートになりますが、
中国の会社やパートナーたちと連携をしながら、
できることを広げていきたいと考えています。


以前から思っている、
人がより自由に生活の場所を選び
仕事ができるようになること。


日本が多様性を受け入れて開かれた社会になっていくこと、
に向けて進んでいきます。


会社設立を決めた時には

まさか今この日を迎えるにあたり

これだけ移動が制限されているようになるとは

思いませんでした。


当面、短期的にはできないこともありそうです。


それでも、
このタイミングで変わっていくものや
風向きを見極めながら
できることをやっていくつもりです。


銀行口座開設やWEBサイトの作成など、
これから手をつけるものも多くあります。


会社を作るのに必要なことは、
中国での起業経験から大体イメージがありますが
やはりそれぞれ日本だとスムーズなことと
逆に手続きが煩雑なことがあるように感じます。



まずは簡単ながらご報告まで。


またこのブログやSNSを通じて発信させていただきます。

ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。



2020年4月6日月曜日

空白を埋めるインレー湖


また、だいぶ空けてしまった。


前回書いたのが、ミャンマーのヤンゴンから。
旅しながら書くつもりだったのに、ネットがなかなか
つながらなかったというのが言い訳。


入国で終わってるので、時間は経ってしまっているけど
その後の旅の話を思い出しながら書きます。
(このままだとずっとミャンマーにいる感じになる)


ヤンゴンからバガンまでは飛行機で、
バガンからインレー湖まではバスで移動。

インレー湖がとても良かった。
自転車を借りて湖畔の道路を走り、どこへ向かうのか
わからない小さな道を見つけて突然そこに入ってみる。

自転車を積んでボートに乗って、対岸まで渡ってみたり。
























湖の上に家があり、そこでの生活を覗くことができる。

天気が良くて、人が集まって外で食事をしていたので
屋台のような感覚で入っていったら、ただ近所の人で
集まって食事中。


同じものを食べさせてもらいました。
言葉は挨拶程度しかわからないけど、お互いに耳を
傾ければ伝わることは多い。そしてそれが旅の醍醐味。
























首長族の人たちは、織物を売って暮らしています。
湖の上をボートで回ると、家もある、レストランもある、
お寺もある、と朝から夕方まで過ごせます。




















そして、こんなバランス感覚を持ちたい。


人が暮らすっていうことの原点が見えるようでもあり、
優しい笑顔がたくさんありました。


インレー湖からヤンゴンまでは、飛行機で戻り
また北京経由で大連まで戻ったという旅でした。


ミャンマーを出国した後、大連に戻ってからの2019年は
日本に一時帰国が多くあっという間に過ぎました。


またタイムリーにその日に感じたことなどを
書いていくにあたり、まず途中になっているところを
補足しておきたくて、近況ついてはこれからにします。


また、書きたくなってきました。
何度も、はじめる。



2019年1月31日木曜日

ミャンマー入国


大連から北京を経由してヤンゴンへ。


北京発ヤンゴン行きは機体小さく、
ミャンマー行きの中国人はまだまだ少ない
ということを実感。



飛行速度もやや遅め。


夜中にヤンゴンに到着。


空港は大きくはないが、とてもきれい。


そして、、、



2018年10月より日本パスポート保持者は
ビザが不要になったということで、



ビザも入国カードさえも書かずに
パスポートのみで簡単に入国!



入国カードも書かなくて良いというのは
かなり楽。



並んでいる間は、本当にパスポートだけで
OKなのかちょっと不安だったけど。



素晴らしいミャンマー。
歓迎してもらっている感がとてもうれしい。



現地通貨は空港でキャッシング。
タクシーやホテルは米ドル支払いも
可能なところが多そう。



SIMカードは到着時間が遅く空港内の店が
閉まっていたが、街中でも安く購入でき、
お店の人に設定もしてもらえる。



人もガツガツしていなくて、柔らかい感じ。
初日にして心掴まれる。



楽しく過ごせそうな予感。



2019年1月21日月曜日

風に向かって飛ぶカモメ


大連の星海広場へ。


ここの冬は乾いて、冷たい。
強くて身を刺すような風が吹く。




















カモメは風に向かって飛んでいくようだ。



空気の抵抗や摩擦を活かしながら。



舞い上がったら、流れに乗るだけ。





















何かストレスを感じている時は、
きっとその抵抗を活かして違うステージに
上がっていける時。



2019年が始まったけど、
中国は旧正月前の年末ムード。


さて、今週は上海。
何があるか、楽しみ。



2019年1月16日水曜日

出雲大社前スターバックス


1月12日・13日と島根県出雲へ。


出雲大社に行ってみたい、という理由。



雲が出る場所、
そこは龍がたくさん集まる場所に違いない。



東京羽田から飛行機で1時間強。


出雲大社や日御碕など実際に行ってみて
素晴らしかった。



観光地ではないという意味では、
タイトルの通り、出雲大社前のスターバックス
がとても気に入った。


まず、立地が最高なのに混んでいなくて
席を選んで座れる。


和を取り入れた建物、内装になっていて
とても落ち着く雰囲気。


そして、
























ちょうど出雲大社の入り口が見える席に
座ると、


















この感じ。




















こんな風に。



世界中で今までに行ったスターバックスの
中でも一番じゃないかな。



もちろん、ちゃんとお祈りも。
何せ、厄年なので。



それだから、行ったわけではなくて
自分の中ではなんとなく呼ばれるような
感覚があって。



祈ることって、自分が求めていることを
言語化することだから、



祈れば、叶う。



というのは、自分がどうなりたいのか
どうありたいのか、を認識することなんじゃ
ないかなと思う。




定期的に祈ることをしていると、自分の
その希望が、祈りの言葉が少し変化している
ことに気づいたりもする。



自分の心の声をよく聞くということ。



正直に、その声を認めてそのために動くこと。



そんな風にしていきたいし、
出雲大社の一番の効能である(と言われている)
縁結び、もちろん良いご縁に恵まれたいし
ご縁を作っていくことを、やっていきたい。



そんな声を聞き、神様に宣言したのだった。



2019年1月12日土曜日

セブで年越し


2019年初の投稿。


書いているのは日本、島根県の出雲から。



年末年始のことをまだ書いていなかったので
そのことから。



2018年の最後と2019年の始まりは
フィリピンのセブ島で過ごした。




普段中国の大連が寒いので、暖かい場所に
行きたくて、
かつ、行ったことのない国で考えたら
フィリピンだったので。



単純な理由。



大連からは、上海を経由。


出発時はセブ周辺に台風が来ていたらしく
フライトが遅れてセブに着いたのは夜中
というか朝、外が明るくなり始めた頃。



セブでは、昼間は森の中の滝に行ったり
ジンベエザメと一緒に泳いでみたり。



ジンベエザメってクジラっぽいけど
やっぱりサメ、魚類最大の種らしい。



セブのオスロブという場所で、ジンベエザメ
とほぼ100%遭遇できるアクティビティがある
というので行ってみると、



たくさん、いるいる。
沖まで行って、ジンベエザメをレーダーかなんかで
探すのかと思いきや、そんなんではなく
ビーチの浜近くまでジンベエザメが大量に毎日
やってくるようで、入れ食い状態。




とはいえ、貴重な経験なのでセブに行ったら
これはやってみていいかと。
























フィリピンは、これといった名物料理はないよう
だけど現地の人はとにかくたくさん米を食べる。



フライドチキンにライス大盛り、とか。
パサパサの白米を手ですくって食べる。



それと、セブにもITパークなるものができていて
基本英語ができることや若い人が多いということの
メリットをこれから活かそうとしているようだ。




年越しは花火と、港の方から聞こえる船の汽笛。
賑やかに。


























初詣にも行ってきた。
キリスト教の教会。




フィリピンもなかなか
これからがおもしろそうだ。



そして2019年の自分も。



2018年12月29日土曜日

『奇跡のリンゴ』と強い根っこ


2018年仕事納め、そして移動中。


南国に向けて、現在上海で待機中。
時間があるので、最近読んだ本について。



奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家-木村秋則の記録



リンゴは、無農薬では作れない・・・



そんな常識と戦った一人の農家の物語。



試行錯誤する中で、樹の本来の生命力を引き出していく。



弱り切ったリンゴの樹は、自然に近い土の中で
地中に根を強く張り、そこから甦っていく。



途中で、稲の話も紹介されている。



田の耕し方は、粗くする。


はじめは、生育が遅いように感じられるものの
その間に根を張らせ、その後急激に稲が伸びる。




それは人の生き方にも通じる。



今の時代、人は本来の生命力を発揮しなくても
生きていけるような環境になっている。



だから薬がない環境、除菌されていない場所では
あっさりと屈してしまう。



学校での勉強や、会社での仕事での成果が
果実だとすれば、
そこばかりに気を取られて、大きい実が育つ
ための水、肥料、農薬を摂取しようとする。



ただ、そのベースになる生命力の根源を
成長する過程でどれだけ強いものとして、
変化に耐えうるものにできたかが大事なんだ。




根の伸ばし方は、人それぞれ。



人に評価されるかどうかに関係なく
自分が好きなことを続けることや、
心の赴くままに何かに打ち込む中に
あるんじゃないだろうか。



そして、人はきっといつ、いつからでも
根を伸ばすことができるはず。



2018年の終わりに、これから来る新たな年に
根を伸ばしたいと、強く願う。





危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。


痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。


人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。


不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。


成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。


(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より)