2018年11月8日木曜日

立冬と餃子とRelay J-Cafe


日付は変わってしまったけど、
11月7日は立冬。


中国、東北地方ではこの日は
餃子を食べなければいけない日。


ここで言う餃子は水餃子。


大連がある東北はとにかく何かと言うと
餃子だ。



好きだから、いいのだけど。



立冬で餃子を食べる理由を大連人に聞いてみた。



三択問題。

①昔の皇帝がそのように決めたから
②栄養を蓄えないと冬を越せないから
③餃子を食べないと耳がもげるから


さて、

答えは。。。



③!

水餃子の形が耳に似ているからだろうか。


実際冬の寒さは厳しくて、耳を出したまま外を
歩けば凍傷でもげてしまうこともあったのかも
しれない。



なので、もちろん郷に入っては郷に従えで
食べておいた。
特に酸菜(白菜を酸っぱくしたのと豚肉)のが
お気入り。



そして、そんな日にもう一つのイベントを開催。


大連で昨年から定期的にやっている、
Relay J-Cafeという名の日本語コーナー。


















毎回日本語を使って交流したい中国の人が参加
してくれている。


今回のテーマは、「私が好きな本」。
特に本好きの参加者の熱量がすごい。



中国語の本は読み切ったことがないけど、
三国志の武将なら負けない位知ってる!
何なら水滸伝もいけるぞ、と張り合ってみた。



本との出会いは人との出会いと同じように
必要な時に目の前にやってきて、ページをめくる
ように手配されてるような気が、最近している。


そしてそんな本は休まずに一気に読めて
すっと理解できたりするから不思議だ。



2018年11月7日水曜日

大連の冬


5度目の冬がやって来る。


大連は中国の東北地方で、
緯度は日本の仙台とほぼ同じ。


大陸から、海から、冷たい風が吹く。


最低気温は〜


-15度から-20度位まで下がる。



雪はほとんど降らない。
ここ最近だと年に2〜3回くらい。



もちろん外は寒いから、
風が吹くような日は、街歩く人はフードを
被って歩いてる。


なるほど、フードは飾りじゃないんだ。


スターウォーズのジェダイのようにして
歩けばいい。


寒い、確かに寒い。。。


でも、実は快適。


それは、暖气(中国語読みで、ぬぁんちー)
があるから。


建物の中は全て暖房が効いてる。
暖房といってもエアコンではなくて、
床暖房やお湯を通すぐるぐるのパイプみたい
なのが置いてある。


これが標準装備。



だから、真冬でも部屋の中はTシャツだけでも
いいし、ふとんは夏も冬も同じでいける。


朝ふとんから出られない、ということや
トイレやシャワーが寒い、ということもない。



ということで、もう大連ではその暖气が始まった。


怖くないよ、中国東北の冬。



2018年11月6日火曜日

秋の風と高校ラグビー


どこにいても、この時期は必ず思い出す。


今からだと、、、




23年前。


1995年の秋。


高校ラグビー、東京都大会の準々決勝。



そう言えばあの試合の前の日、なぜだか忘れたけど
母を怒らせて、朝は顔を合わせないまま
でも確か手紙を書いて出てきたことを思い出す。


何を書いたのかはあまり覚えていないのだけど、
はっきり今でも覚えているのはその試合前日
監督がメンバー発表、ジャージを渡した後の言葉。



「明日は愛する者のために戦え」



よくわからないけど、確かに高揚したんだと思う。



試合には勝つことができなかったけど、高校時代に
ラグビーに出会って、指導者と仲間に恵まれて
濃い時間を過ごすことができたのは最高のことだ。

















あの頃、2018年をどんな風に想像していたんだろう。


そうだ、こんなことを言える。


「ラグビーのおかげでどこに行っても人に恵まれている」


だから大丈夫だって。



2018年11月5日月曜日

中国語の学習方法


中国語できます。


ひとまずそう言ってみる。



一般的に日本人は外国語のできる、できないの
境界がとても高いところにあるようだ。



少しでも言いたいことが伝えられれば、
まずできる、でもいいんじゃないかな。


じゃあ、中国語いつからできたんだろう?


香港では少しだけ中国語(普通話)を勉強
したけど、使う場もなかったし本格的に
習って使ってというのは深センから。


仕事終わってから学校に行って1時間半位
マンツーマンで、平日1回週末1回位かな。


学校での授業が50時間位経った頃から少しずつ
習ったことを使いながら簡単な意思表示ができて
100時間位経った頃には大体相手の言ってることも
わかるようになったんじゃないかな。


それと〜。


中国のテレビをひとまずたくさん見る。
それぞれの省のテレビ局があるのでチャンネルは
とても多い。


そして、おそらく中国は大きくて地方は言葉も
結構違ったりするから中国語のテレビ番組は
ドラマもバラエティも基本的に中国語字幕が付いてる。


なのでテレビをたくさん見ていると、耳で言葉を聞き
ながら何を言ったか目で言葉も追えるのでよく使われる
言葉はそれで覚えることができる。


耳で聞くという点ではポッドキャストもオススメ。
移動中などにはポッドキャストを聞き流す。


テキストを読んだりするよりも、まず耳でたくさんの
量を聞いてその中で覚えたものを口に出してみる。



人間が言葉を覚えるプロセスは耳で聞いたものを
真似してみるということから始まるので、そこから。



中国語は漢字を使ってて、日本人には馴染みがあるし、
文字に意味があっておもしろい。



発音はちょっと難しいので、それはネイティブの先生
にチェックしてもらう必要がある。


一番難しいフレーズは、、、



我是日本人。(私は日本人です。)


rの音、nとngの違いあたりは日本人には難しい。



ということで、今になっても中国のドラマ見たり
ポッドキャストも聞いてる。



そう言えば。



HSK=汉语水平考试は1級から5級まで受検して
合格したのだけど一番難しい6級だけお預け状態。



気軽に受けてみるかなあ。


中国語できる(つもり)だし。



2018年11月3日土曜日

空白期間の振り返り③(大連)


「大連に行ってみないか」・・・。


えっ?



大連???



突然だった。想像したこともなかった。


2014年夏、深圳の国貿エリアにある
鰻がうまい居酒屋でのこと。


深圳でやり直しのチャンスをくれた、
その時のボスは2014年4月から北京に異動し
北京・天津・大連の華北エリアを管轄していた。


当時大連拠点は業績が芳しくなく、立て直しが
必要とのこと。


ようやく深圳で基盤を作れてきた感覚を
持ち始めていたその時。


即答はできなかった。


ただ、話を聞きながら自分の心は新しい場所
でのチャレンジに向いていた。


数日後に大連に行く意思を伝え、それからは
慌ただしく半月ほど業務を引き継ぎ、
最後の夜は盛大に友人たちと夜中まで飲み、
8月末には大連に飛び立った。



深圳から大連まで、中国の南から北へ。



初めて降り立った大連の地は、南にはない
乾いた風が吹いていた。



それからのことは、ひとつずつ書いていこう。



これから大連の5度目の冬が始まる。



2018年11月2日金曜日

空白期間の振り返り②(深圳)


最近何かとブームのように扱われている深圳。

2013年5月〜2014年8月までそこに住んでいた。


香港から陸路で深圳に入ると、何とも言えない
怪しさを感じたのを覚えている。

地に足をつけて、中国を感じたのは深圳という土地
が初めてで、中国語を覚えたのも深圳。


街の発展のスピードを肌で感じつつ、香港での失敗を
取り返すように、人材紹介の営業と現地スタッフとの
コミュニケーションを図っていた。


会議は中国語、何を話しているのかは通訳してもらわないと
わからず、自分の発表の際にはまず日本語で書いて、中国語に
翻訳して、さらにピンインを書いてそれをたどたどしい発音で
読んでいた。


そんな取り組みがあり、徐々に現地組織の一員として
溶け込むことができるようになったと思う。



たまには香港にも遊びに行ったり、
深圳でも腹抱えて笑いあえる友人ができた。


中国語がわかってくると、中国人と話をすることが
楽しくなってきた。


テレビも普通に見られるようになってきた。


深圳から遠い場所のお客様先に行く時にもバスや
怪しい二輪、白タクなども使ってどこでも行ってみた。



よし、これからもっと動けるという頃
突然深圳を離れることになった。



続く。



2018年11月1日木曜日

空白期間の振り返り①(香港)


6年以上経ってる。



前回の投稿は香港に赴任したばかりの頃。
その後のこと、今振り返ってみよう。


気持ちは空回りして、大失敗。。。


自分がその時思ってた正しさにこだわって、
目の前の人たちとの信頼関係がつくれなかった。


気づいた時には遅かったのだけど、何とか挽回
したくてそこからは必死のパッチ。



今思うとそれも、ただ頑張っているような自分を
見せていただけ。

結局は自分が自分を認められてなかったんだと
今になるとわかる。



頑張るということに逃げていた。
それしかなかった。


一番しんどい時ではあったけれど、それでも
しがみつこうとしたその経験は今につながってる。


その時あまり役には立てなかったけれど、自分の
気持ちには嘘をつかずに判断をしてきた。


ある日香港の上司に呼ばれて、日本への帰国の話。



ついに来たか、とその時は冷静に聞いた。
多分自分の中で、そうなることを予想してた。
その日を何とか引き延ばして来た。


数日後に、日本に帰るつもりがないと伝えた。
辞めてどこかに行こうかと考えていた。
その場で、深圳でのオファーをもらい中国大陸で
新しいチャレンジをすることに。


深圳ではどうだったか、次に続く。


ちなみに、ブログも形式とかにこだわると億劫
になってなかなか進まなくなるので気軽に自由に
書いてみよう。