2018年11月7日水曜日

大連の冬


5度目の冬がやって来る。


大連は中国の東北地方で、
緯度は日本の仙台とほぼ同じ。


大陸から、海から、冷たい風が吹く。


最低気温は〜


-15度から-20度位まで下がる。



雪はほとんど降らない。
ここ最近だと年に2〜3回くらい。



もちろん外は寒いから、
風が吹くような日は、街歩く人はフードを
被って歩いてる。


なるほど、フードは飾りじゃないんだ。


スターウォーズのジェダイのようにして
歩けばいい。


寒い、確かに寒い。。。


でも、実は快適。


それは、暖气(中国語読みで、ぬぁんちー)
があるから。


建物の中は全て暖房が効いてる。
暖房といってもエアコンではなくて、
床暖房やお湯を通すぐるぐるのパイプみたい
なのが置いてある。


これが標準装備。



だから、真冬でも部屋の中はTシャツだけでも
いいし、ふとんは夏も冬も同じでいける。


朝ふとんから出られない、ということや
トイレやシャワーが寒い、ということもない。



ということで、もう大連ではその暖气が始まった。


怖くないよ、中国東北の冬。



2018年11月6日火曜日

秋の風と高校ラグビー


どこにいても、この時期は必ず思い出す。


今からだと、、、




23年前。


1995年の秋。


高校ラグビー、東京都大会の準々決勝。



そう言えばあの試合の前の日、なぜだか忘れたけど
母を怒らせて、朝は顔を合わせないまま
でも確か手紙を書いて出てきたことを思い出す。


何を書いたのかはあまり覚えていないのだけど、
はっきり今でも覚えているのはその試合前日
監督がメンバー発表、ジャージを渡した後の言葉。



「明日は愛する者のために戦え」



よくわからないけど、確かに高揚したんだと思う。



試合には勝つことができなかったけど、高校時代に
ラグビーに出会って、指導者と仲間に恵まれて
濃い時間を過ごすことができたのは最高のことだ。

















あの頃、2018年をどんな風に想像していたんだろう。


そうだ、こんなことを言える。


「ラグビーのおかげでどこに行っても人に恵まれている」


だから大丈夫だって。



2018年11月5日月曜日

中国語の学習方法


中国語できます。


ひとまずそう言ってみる。



一般的に日本人は外国語のできる、できないの
境界がとても高いところにあるようだ。



少しでも言いたいことが伝えられれば、
まずできる、でもいいんじゃないかな。


じゃあ、中国語いつからできたんだろう?


香港では少しだけ中国語(普通話)を勉強
したけど、使う場もなかったし本格的に
習って使ってというのは深センから。


仕事終わってから学校に行って1時間半位
マンツーマンで、平日1回週末1回位かな。


学校での授業が50時間位経った頃から少しずつ
習ったことを使いながら簡単な意思表示ができて
100時間位経った頃には大体相手の言ってることも
わかるようになったんじゃないかな。


それと〜。


中国のテレビをひとまずたくさん見る。
それぞれの省のテレビ局があるのでチャンネルは
とても多い。


そして、おそらく中国は大きくて地方は言葉も
結構違ったりするから中国語のテレビ番組は
ドラマもバラエティも基本的に中国語字幕が付いてる。


なのでテレビをたくさん見ていると、耳で言葉を聞き
ながら何を言ったか目で言葉も追えるのでよく使われる
言葉はそれで覚えることができる。


耳で聞くという点ではポッドキャストもオススメ。
移動中などにはポッドキャストを聞き流す。


テキストを読んだりするよりも、まず耳でたくさんの
量を聞いてその中で覚えたものを口に出してみる。



人間が言葉を覚えるプロセスは耳で聞いたものを
真似してみるということから始まるので、そこから。



中国語は漢字を使ってて、日本人には馴染みがあるし、
文字に意味があっておもしろい。



発音はちょっと難しいので、それはネイティブの先生
にチェックしてもらう必要がある。


一番難しいフレーズは、、、



我是日本人。(私は日本人です。)


rの音、nとngの違いあたりは日本人には難しい。



ということで、今になっても中国のドラマ見たり
ポッドキャストも聞いてる。



そう言えば。



HSK=汉语水平考试は1級から5級まで受検して
合格したのだけど一番難しい6級だけお預け状態。



気軽に受けてみるかなあ。


中国語できる(つもり)だし。



2018年11月3日土曜日

空白期間の振り返り③(大連)


「大連に行ってみないか」・・・。


えっ?



大連???



突然だった。想像したこともなかった。


2014年夏、深圳の国貿エリアにある
鰻がうまい居酒屋でのこと。


深圳でやり直しのチャンスをくれた、
その時のボスは2014年4月から北京に異動し
北京・天津・大連の華北エリアを管轄していた。


当時大連拠点は業績が芳しくなく、立て直しが
必要とのこと。


ようやく深圳で基盤を作れてきた感覚を
持ち始めていたその時。


即答はできなかった。


ただ、話を聞きながら自分の心は新しい場所
でのチャレンジに向いていた。


数日後に大連に行く意思を伝え、それからは
慌ただしく半月ほど業務を引き継ぎ、
最後の夜は盛大に友人たちと夜中まで飲み、
8月末には大連に飛び立った。



深圳から大連まで、中国の南から北へ。



初めて降り立った大連の地は、南にはない
乾いた風が吹いていた。



それからのことは、ひとつずつ書いていこう。



これから大連の5度目の冬が始まる。



2018年11月2日金曜日

空白期間の振り返り②(深圳)


最近何かとブームのように扱われている深圳。

2013年5月〜2014年8月までそこに住んでいた。


香港から陸路で深圳に入ると、何とも言えない
怪しさを感じたのを覚えている。

地に足をつけて、中国を感じたのは深圳という土地
が初めてで、中国語を覚えたのも深圳。


街の発展のスピードを肌で感じつつ、香港での失敗を
取り返すように、人材紹介の営業と現地スタッフとの
コミュニケーションを図っていた。


会議は中国語、何を話しているのかは通訳してもらわないと
わからず、自分の発表の際にはまず日本語で書いて、中国語に
翻訳して、さらにピンインを書いてそれをたどたどしい発音で
読んでいた。


そんな取り組みがあり、徐々に現地組織の一員として
溶け込むことができるようになったと思う。



たまには香港にも遊びに行ったり、
深圳でも腹抱えて笑いあえる友人ができた。


中国語がわかってくると、中国人と話をすることが
楽しくなってきた。


テレビも普通に見られるようになってきた。


深圳から遠い場所のお客様先に行く時にもバスや
怪しい二輪、白タクなども使ってどこでも行ってみた。



よし、これからもっと動けるという頃
突然深圳を離れることになった。



続く。



2018年11月1日木曜日

空白期間の振り返り①(香港)


6年以上経ってる。



前回の投稿は香港に赴任したばかりの頃。
その後のこと、今振り返ってみよう。


気持ちは空回りして、大失敗。。。


自分がその時思ってた正しさにこだわって、
目の前の人たちとの信頼関係がつくれなかった。


気づいた時には遅かったのだけど、何とか挽回
したくてそこからは必死のパッチ。



今思うとそれも、ただ頑張っているような自分を
見せていただけ。

結局は自分が自分を認められてなかったんだと
今になるとわかる。



頑張るということに逃げていた。
それしかなかった。


一番しんどい時ではあったけれど、それでも
しがみつこうとしたその経験は今につながってる。


その時あまり役には立てなかったけれど、自分の
気持ちには嘘をつかずに判断をしてきた。


ある日香港の上司に呼ばれて、日本への帰国の話。



ついに来たか、とその時は冷静に聞いた。
多分自分の中で、そうなることを予想してた。
その日を何とか引き延ばして来た。


数日後に、日本に帰るつもりがないと伝えた。
辞めてどこかに行こうかと考えていた。
その場で、深圳でのオファーをもらい中国大陸で
新しいチャレンジをすることに。


深圳ではどうだったか、次に続く。


ちなみに、ブログも形式とかにこだわると億劫
になってなかなか進まなくなるので気軽に自由に
書いてみよう。



2012年5月28日月曜日

"Don't think. Feel!"〜水野浩志さん研修〜


ネイホー。


IDカードを手に入れて、
れっきとした香港居民になりました。

そしてばっちり、
タクシー目的地の広東語発音をマスター。


そんな中、
土曜日に水野浩志さんの研修を受けることができたので、
強く印象に残ったことを忘れないように書いておこうと思います。


水野さんは毎日メルマガを書いていて、
去年から購読しています。


会って話してみると想像よりも、ユーモアがあって
(勝手ながらもっとカタいイメージを持っていました)
食事の時も笑いが絶えなくて、本当に楽しい時間を過ごせました。


研修前の面談と、研修当日を通して受け取ったメッセージは
『自分で言葉を定義して、それに沿って行動しよう』でした。


例えば、「考える」。

どうなったら「考えた」と言えるか。


水野さんは、「行動を決めるまで考えを止めない」ということを
教えてくれました。


そして、コミュニケーションは頭ではなく心で感じることで
「この人の力になりたい」と思えることが、共感。


その感情が自分の中に見つかるまで話を聞き続けるそうです。


ついつい共感をコミュニケーションのスキルととらえがちですが
そんな自分の中での定義を持っていると、ブレがない。


だから、コミュニケーションの前や途中でジャッジをしない。

相互に納得するまで、自分だけで結論を出すことはしない。


これって仕事かどうかに関わらず、
人と接する上では非常に大切なことで、
でも自分自身なかなかできていないことです。


できていないことはたくさんあるけれど、
大きな理想を持ち、
自分の仕事や可能性を広げる覚悟を持って、
行動とその結果を積み重ねていこうと思います。


水野さん、ありがとうございました!

是非また香港へ!



2012年5月13日日曜日

大海に飛び出そう!


香港に来て6週間、毎日が濃すぎてあっという間に過ぎる。

新入社員の頃を思い出しながら、新しい仕事を覚えていく。


今までいかに、自分の庭の中でだけ仕事をしていたかと知る。


仕事をして、経験を積む中で自分が得意なことがわかってくる。
そうすると、次第に得意なことばかりに取り組むようになる。


もちろん、強みを伸ばしてスペシャリストになることもできる。

ただ、その中でも居心地の良い自分の庭から出て、
何があるかわからない森の中、
海に飛び出してみようと思えるかどうか。


どこに何があるかわからないから、
まっすぐ進むことはできず、
時にはどこへ向かっているのか方向を見失うかもしれない。


それでも、その中にきっと何かがあると思って探し続ける。


2年前の自分が思っていたことを、過去のブログから振り返る。


『挑戦できるか、失敗できるか。』


その頃、スティーブ・ジョブズのスピーチに感動してそれ以来
何度も何度も聞いて、そして今ここに来た。


今という点が、これからきっと何かにつながるから
とにかく目の前にあるものに全力でぶつかってみる。


その壁がいつか扉に変わる時が来る。

信じて、とにかく前に。


Get out of your comfort zone!
Stress makes you stronger!



2012年4月23日月曜日

初めての社員旅行


日本を離れてから3週間が経った。

感覚としては「まだ3週間」というよりも、
「もう3週間」。


日々新しい学びがあって楽しいけれど、
もっと詰め込めるし、
濃い一日を過ごしていきたい。


今回は大分時間が経ってしまったけど、社員旅行について。


実は社員旅行に行くのは初めて。


宿泊研修はあったけど、社員旅行は日本では行ったことがない。


それが香港に着任してすぐにプーケットへの社員旅行があり
まだ何もしていない身ではあるものの、連れていってもらった。


そもそも、いつも飛行機に乗ってどこかへ行くような場合は
一人で行くことが多いため、団体旅行が新鮮。


プーケットという場所も一人で旅する場合には候補に挙がらない
ため、本当にいい機会になった。


シーフードと、水平線に沈む太陽と、シュノーケリングを堪能。





そして何より、仕事を通してではないコミュニケーションを
みんなと取ることができたことが一番大きい収穫だった。


それぞれ育ってきた場所が違うし、持っている習慣も違う。


自分の考える常識が通じない場面もあれば、
伝えた言葉だけでは足りない場合もある。


でも、そんな中で言葉に出さずとも通じ合えるところもある。


職場という日常だけでは気づかないことが非日常で見えてくる。


異文化・多様性は考慮しつつ、自分を表現して伝えること。

伝えて、知ってもらうためにどんな手段が有効なのか試行錯誤。


失敗を恐れずに、行動すること、まずぶつけてみること。


そんなことを思いながら、4週目に突入していく。


加油、加油!!








2012年4月10日火曜日

想い続けた今日


4月1日に東京から香港に引っ越しました。


引っ越しと言っても、
スーツケースとバックパックで持てるだけ。


まだ朝起きた時は「あ、東京じゃないんだ」って
外の景色を見て頭を切り替えているけど、
次第に慣れてくるんだろうな。


会社を辞めたわけではなく、
香港の拠点への赴任で来ていますが
意識としては転職に近いように感じます。


サヨナラがあり、新しい出会いがある。


3月の後半からブログを更新できなかったのは、
毎日時間を惜しみながら会いたい人にできるだけ会っていたから。


時間が足りなくて、ちゃんと会って報告ができなかった人もいますが
これから新しい環境で、自己変革しつつ、世界に挑戦します。


メインの仕事は人事労務コンサルティングになる予定ですが
人と組織の成長を助けられることは何でもやるつもりです。


振り返ってみると今まで経験したことが、つながってここにいる。

点と点が結ばれて線、そして幹のように少しずつ太く。


大学院を修了して、
社会人になった時には2012年を一つの節目として
考えていたことを今でもはっきり覚えています。


それは、ロンドンオリンピックの年。


大学院生の時に半年間休学してイギリスに行って、
日本のことを現地の小学生から高校生に教えていたことから、
いつかまた日本じゃない場所で仕事がしたいと想っていました。


ちょうどロンドンでオリンピック開催が決まったことから
2012年を目標にしようと勝手に決めただけですが。


でもその時は海外で仕事をするには、
まったく違う組織に身を置くか会社を辞めて
とにかく飛び出してみるかしかないと考えていました。


次第に海外事業が拡大し、
ずっとチャレンジしたいと言い続けて英語力を高めたり、
いろんな人に話を聞いたりしながら機会に備え
今回ちょうど2012年4月1日を新しいスタートの日にできました。


やりたいことがあればそれを想い続けて、言葉に出すことが大事。

想像できることは、実現できることだから。


着任してからすぐにプーケットに社員旅行に連れて行ってもらって
イースターホリデーもあり、いよいよこれからが勝負!


エンジンかけて、油を加えて、とにかく全力で走るしかない。

送り出してくれた日本のみんなにいい報告ができるように。